Concept ねらい

 

Concept ねらい

熊本地震で私が感じた事。それは自分を差し置いて、世のため、人のために、不眠不休で働いた人たちがいた事。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のデクノボウが沢山いた事。それは日本人が取り戻さなければいけない事。
熊本復興人間力募集プロジェクトでは、そんなことを伝えたいと思っています。

 

はじまり

4月15日
23:00 14日に起こった益城町を震源とする地震の状況をFBで追っていた。
「体育館に避難している200人の朝ご飯がない」という書き込み。
「羽釜でご飯とみそ汁の炊き出しなら出来ます」と書いたが返事は無い。

24:00 PCをシャットダウンし寝床へ。妻も息子も既に寝ていた。

4月16日
1:25 いきなりドンと縦に動き激しく揺れが続いた。
携帯の地震速報が鳴る。飛び起きて居間へ。宮崎県五ヶ瀬町にある我が家は無事だった。
震源地である南阿蘇村(旧長陽村)には義理の弟家族と母が暮らしている。

4:00 妻のラインに「長陽中学校に避難する」との知らせ。その後、連絡が途絶えた。
激しく雨が降り出した。


13:00 私たちも土砂災害を警戒し、五ヶ瀬の里キャンプ村に避難した。
安否確認に行きたいが道路状況がわからない。避難勧告が出ている「動けない」

4月17日
6:00 雨が上がった「動ける」

7:30 現場の状況が全く分からない中、何を必要としているのかを想像し支援物資を三菱ストラーダに積み込む。
羽釜4個、水20ℓ4本、薪、無洗米80kg、調味料、タープテント、100ℓのドイツ製水タンク(空)、寝袋。信頼の出来るスタッフと二人で南阿蘇村長陽中学校に向かう。


8:30 長陽中学校体育館に400人が避難していた。既に自衛隊がプロパンガスで炊き出しを行っていた。
弟家族と母は見つからない。直ぐ近くの南阿蘇西小学校に移動という張り紙を見つけた。


9:30 南阿蘇西小学校到着。全員無事だった。長陽中学校に入り切れない200人が避難していた。
高齢者が多い地元の方と、田舎暮らしを目指し移住したこの小学校に通う子どもたちの家族。
若い男性はほとんどが消防団として朝から捜索活動に出ていた。
各自が倒れた冷蔵庫から食材を持ち出し、簡易ガスコンロで朝食を作り食べた後だった。
ここは自主避難の避難所であり、物資の配給も炊き出し支援もない。
区長さんと相談しタープテントと炊き出し用の羽釜をセットする。
近くの竹藪から数本の竹を切り出し絶対にテントが崩れないように補強。
100ℓの水タンクは体育館の前のスペースに設置。
避難者の農家さんが300ℓの水タンクを軽トラに積み、エンジンポンプで白川水源の湧水を汲み上げ往復。
飲み水、洗い水、トイレの水が確保された。


11:00 お昼ご飯用の炊き出しを開始。若いお母さん数名に羽釜での無洗米の炊き方を伝授。
そうこうしていると地元のご婦人が気を利かせ、早く食べないとダメになる食材を私たちに預け、味噌汁を作ってもらおうと声掛けをしてくれた。
30分後には大量のタケノコの水煮が届いた。保存のため冷凍していた物である。
その他、肉や野菜など各自が持っていた食材がどんどん集まる。味噌も1kgいただいた。五ヶ瀬町の仲間と私の妻も応援に駆け付けた。


12:30 米5升と味噌汁羽釜一杯分が出来た。食器は学校の調理室から持ち出す。
避難所の方が力を合わせて作ったご飯は「これで温かいご飯が食べられる」という安心感でもある。

16:00、今後の支援の在り方を区長さんと話し合い五ヶ瀬町に帰宅。
義理の母だけは私の自宅に避難することにした。

4月18日
8:00 一般社団法人RQ災害教育センター代表理事の佐々木豊志氏より電話。自然学校の先輩で東日本大震災を宮城県登米市で仕切った人。
「お前しか動けてない、仲間をなるべく多く集めてくれ、五ヶ瀬を救援物資の拠点にするからどこか大きな体育館は用意できないか?」。
高千穂町、五ヶ瀬町、山都町、延岡市、宮崎市、綾町、小林市など動ける仲間がものすごい速さで集まりだした。
同時に五ヶ瀬町長の決断で大きな町民体育館である五ヶ瀬ドームを無償で借りることが出来た。
それから私たちは無休で熊本地震の支援活動を続けている。

助けられるのは友達の友達まで。それでも30人の先に30人その先に30人がいる。
熊本の被災地全域とわずか3日間で繋がった。
公的支援が届かない自主避難や個人の被災者に、全国からの好意ある物資を送り届けた。

被災地から鳴り続ける携帯電話。
1日90分しか寝られずに、その先で困っている人を想像しながら、集まった有志30人と共に戦場にいた。
熊本には必死で頑張っている人がいる。
私たちも必死で頑張っているからその気持ちがわかる。
何とか耐えてくれ。きっと皆が助けてくれる。

4月末、東京神楽坂の創作和食のお店「泥味亭」の女将さん(福島出身)に電話。
「募金活動をしているけど、東北の時のようには集まらないのよ、どこか遠い国で起きた事ぐらいにしかみんな思っていないみたい」

これではだめだ!何とかしなければ! 政府もマスコミも国民も、熊本震災に対して冷めるのが速すぎる。
気付いてくれ日本人。今こそ人間力が必要だ。

インパクトのあるポスターや動画の力を使って熊本地震を知らせよう。ホームページでなるべく多くの人に頑張った人の事を伝えよう。助けを求めている人の情報を発信しよう。

グラフィックデザイナー谷口広樹氏にポスターを依頼。
映像ディレクター亀山聡氏に動画を依頼。
超一流が「なんとかしよう」と言ってくれた。
ホームページは私と、いつも一緒に仕事をしているグラフィックデザイナー渡部修と作ろう。

心がまえ

・膨大な好意という恐怖との戦いである!なるべくその好意を無駄にしたくない!
・たった今、どこかで困っている人がいるはずだ!今、何をすべきかを深く考え行動する!
・それをするとどうなるのか?どんな物が必要なのか?常に被災している現場を想像し、半歩、一歩、二歩先をリアルに描く!
・人間とは「感覚→意志→行動→感覚…」を繰り返す動物である(養老孟司)感覚を大事にしよう!

・行政には行政の、我々には我々の役割と仕組みがある。情報共有と協働で効果を最大に!
・我々がやっていることは義務である!パフォーマンスはしない!
・ネットの情報は怪しむべし!自分の目で見たこと、信頼できる人が見たことだけを信じろ!

4月23日、RQ九州五ヶ瀬ボランティアセンター開設時にボランティアの基本理念として掲示した。初動の段階で危険な現場に緊急支援物資を運ぶことを使命としていた5月連休終了まで、この決まりを固く守った。その後、人的支援に移行するに従い少し緩やかになったが、今も基本は生きている。

 
発起人代表:杉田英治(グラフィックデザイナー)
一社)RQ教育センター・RQ九州五ヶ瀬ボランティアセンター代表
NPO法人五ヶ瀬自然学校理事長
宮崎県地域づくりネットワーク協議会会長
宮崎県社会教育委員