Hope 想い

 

Hope 想い

現地ボランティアやデザイン、映像制作など様々なカタチでプロジェクトに関わっていただいた方々の熱い人間力をメッセージにて掲載いたします。
多くの方が既に熊本復興にご協力いただいております。皆様ありがとうございます。

Hope 想い

谷口広樹 カメヤマサトシ 川上昇 瀬野達也 小野寺幸浩 税田裕子 瀧野芳
西石啓朗 甲斐武明 佐藤梨花 黒田聖奈 廣岡拓磨 幾度恵美 渡部修 杉田英治


平成28年7月28日
グラフィックデザイナー 谷口広樹

熊本の地震のことは、近年ご縁の出来た熊本にも近い場所にある五ヶ瀬の地にいる人たちのことがあるのでより身近な出来事に感じた。
だからという訳ではないが、何か力になれないか?と考えていたところにこのポスターの依頼があり、非力ながらお手伝いさせていただくことになった。
熊本に限らず、東日本大震災のあたりから、日本の物理的な面に限らず精神的な面においてもその基盤が崩れ始めている、いや、むしろ国民が思うような安心できる土台がそもそも造られて来なかったのでは?という憂いの感情に日々苛まれている。
熊本復興とは、熊本のことだけではなく、正常な日本を復興するという意味でもあるように思えるのです。
一人でも多くのみなさんがこのプロジェクトに興味を持って参加していただけることを祈っています。

平成28年7月24日
映像ディレクター カメヤマ サトシ

花は 誰が見ていなくても 咲きます。
鳥も 歌い 空を 飛びます。樹々も茂り、魚も泳ぎます。
人はどうでしょうか?
人であるそのことのために生きているでしょうか?
熊本には「困っている人がいるから」と、シンプルに行動した、
行動をしている人、その「人」たちがたくさんいます。
僕も人となれるように今をこれからを生きる。
それがこのプロジェクトに参加させてもらって熊本の人から教えてもらったことです。
みなさんの人の力、人間力がここに集まりますように。

平成28年8月9日
高千穂町 川上昇

災害における映像や情報は、あくまで画面上の出来事であり、
当事者の気持ちに共鳴し、それをもって自らが行動を起こすということは、容易ではありません。
当事者となったからといって、「ボランティアが足らないから来て欲しい」などとは、
今まで起きた震災等で動かなかった私には言いきれません。
だから、これまで全国から熊本に集まってくださっているボランティアの方々には、敬意と感謝の言葉しか伝えられません。
昨年まで住んでいた熊本は、私にとって余りに身近な場所であり、
やり場のない気持ちに耐えられないという、使命感にも似た感情をもって、
日本各地から届く想いの詰まった救援物資を車に積みこみ、地震直後から熊本へと向かいました。
今でもなお、マンパワーの一つとしてこの現実と向き合い続けるということは、私が私であるために必要なことだと思っています。
一人ではままならないということも、この想いを共有するボランティア仲間とならば、可能性が大きく広がります。
熊本は、いまなお多くの人間力を必要としているのです。
私は、熊本地震を見届けます。自戒もこめて、私が経験している今を、何が起こるかわからない未来に活かすためにも。

平成28年8月9日
「ドンと食え」「東無田」ムービー編集 瀬野達也

僕にはいったい何ができるだろう。
大きな災害を目の当たりにするたび、何も動き出せない自分がいました。
報道で伝わってくる現場の状況やネットを通じて支援を呼びかける声に、
その度に、何かしたい。でも、何もできない。だから、何もしない。
いつも僕は傍観者でした。
熊本地震のあったその日も同様でした。
ただ今回は、このプロジェクトを手伝うことができました。
「人が人を支えて生きる」姿を知ることができました。
これからは、僕にできることをやっていこう。
そう思います。

平成28年8月12日
「ドンと食え」「東無田」「たんぽぽハウス」ムービーカメラマン 小野寺幸浩

とにかく状況を知ってほしいです。遠くの出来事として、そして過ぎたことと思わないでください。もう一度、身近な事として 考えて貰えないでしょうか。
いまだに潰れた家屋の敷地でテント生活して居る人たちがいます。暑い日にはテントは入れません。強い雨が降ったら雨漏りもします。
遠くの仮説住宅から農作業に出なくてはならない人たちもいます。テント生活から普段の仕事に行く、戻っても風呂は無く、テントは砂にまみれてる。
こんな生活を3、4ヶ月も続けている人たちがいます。みなさん、自分の事としてもう一度考えて貰えないでしょうか。
東日本の震災のときは日本全国から支援が集まり、今も人のチカラが続いています。熊本は情報が足りずに支援が少ないです。
だけど、困っている人たちがいます。そして、僕らにも やれることが沢山あります。
これからです。みんなのチカラが必要なんです。

平成28年7月24日
スタイリスト 税田裕子

今回の地震でほんの少しですが、RQの五ヶ瀬VCでお手伝いをさせて頂きました。
そこで感じたことは、震災直後、全国各地から、震災復興の手伝いにきてくれる人たちがたくさんいるということでした。
職種や年齢も様々で、期間もばらばらですが、復興に向けての熱い思いを持っている人たちがいたのだということに感動しました。
しかし、復興には時間がかかります。まだまだ人間力は必要です。
このプロジェクトを一緒に支援して下さる方々に届きますように。

平成28年9月12日
日本エコツーリズムセンター 瀧野芳

熊本地震が起きた時、私はすぐにボランティアとして現地に行きたいと思った。
東日本大震災の発生すぐにLIVE放送された津波を見て
「とんでもないことが起きている。助けに行かなくちゃ!」と真っ先に思ったのにも関わらず
「ボランティアは来ても困る」という報道をうのみにしてほとんど手伝いに行かなかったことをずっと悔んでいたから。
1週間熊本ボランティアに参加した。
がれき撤去に留まらず、間接的に被害を受けて収穫が遅れてしまっているジャガイモ・ニンジン・梅の収穫などもあり、それも復興に向けた大切な作業だと思った。
今後も、大きな災害が起きて、現地からのボランティア募集があったら是非行きたいと思う。
日本は災害大国で自分もいつ被災者になるかわからない。
もし自分が被災して途方にくれた時、誰かが応援してくれたらやっぱり嬉しいと思うから。
災害大国で生きるには、自身・地域の生きる力と助け合いが必要不可欠。

平成28年8月31日
愛媛県 西石啓朗

私は今、熊本にいます。28年間勤めた会社を半ば喧嘩退職し、これからどう生きて行こうか悩んでいた時、今回の地震が発生しました。
ボランティア経験の無い自分は、迷惑をかけたくないと、余震が治まるのを待って5月に来ました。当初3日で帰ろうと思っていたのですが、今では密度の濃い充実したボランティア生活を送っています。
以前、テレビの取材で「何故ここに来ようと思ったのですか」と聞かれた時、「3か月前のことなので忘れました」と答えました。「人助けがしたい、恩返しがしたい」とお手本のような答えをした人も居ましたが、私には思い出せませんでした。
でも今では、頑張っている人がいるから、その人たちに逢いたかったから来たのだと確信しています。
誰かに導かれてここに居るのだと思います。
私には、「行政が」「民間が」など難しいことは解りません。
物書きや写真家の力で世の中が変わるとも思っていませんし、こんなの書く柄でもありません。しかし、理屈じゃない。今やれることをやりたい。そうすれば少しの失敗と結果が付いてくることを信じています。この企画に賛同し仲間が集まってくれることを願い、この原稿を書きました。

平成28年9月23日
宮崎市 甲斐武明

私は、昨年1月に定年退職し、12月に20年以上住んでいた熊本から宮崎へ引越しました。
そして今年の4月に熊本での地震が発生しました。
地震を知って最初に頭に浮かんだのは、以前勤めていた会社の同僚とお客様の安否の事でした。
最初の地震後に以前勤めていた会社とお客様へ電話をして安否を確認しましたが、4月16日に2度目の地震が起こり、日に日にテレビの情報で被害が大きくなるにつれて、今まで住んでいた熊本へ少しでも復旧のお手伝いができないかと考え始めました。
しかし、熊本市内はホテルも被災し、予約も取れず、ボランティアをあきらめかけていましたが、RQ九州で宿泊施設を提供して頂けると聞いて、五ケ瀬VCへ1回目は5月末から伺い、ボランティア活動に参加しました。その際、被災状況を見聞きして、復旧には相当の時間がかかる
であろうことは推測されましたので、時間を調整しては、7月末に2回目、9月に3回目のボランティアへ参加させて頂きました。
ボランティアへ参加して作業中に被災状況をお聞きし、作業が終了してお礼の言葉を頂くと何とも言えなくなりますが、少しでもお役に立てたことをうれしく思います。
これからも少しでも復旧・復興のお手伝いをさせて頂きたいと思っております。

平成28年10月11日
京都大学 学生 佐藤梨花

私が最初に熊本を訪れたのは9月の上旬でした。
5カ月以上経っているし、だいぶ復興しているのではないか、と思っていました。
しかし、現状は全く違い、厳しい状況の中で、一生懸命頑張っている人がたくさんおられました。
RQの方々も、熊本の人の役に立ちたいという熱い思いをもって活動されていて、中には毎日休むことなく活動されている方もいらっしゃいました。
正直、圧倒されてばかりでした。
私がボランティアで1番多くさせていただいた仕事は農作業でした。
ハウスの解体、組み立て、草刈り、ヒエ(稲の間に生えてくる雑草)取り、、などなど。
震災ボランティアのイメージからはあまり思い浮かばない仕事ですが、熊本では、農業が盛んで、農業で生計を立てている人が多く、被災地では被災によって農作業が滞っていて困っているというケースが多いのです。
今回熊本を訪れて、震災に負けず頑張っておられる方々のお手伝いをさせていただけて、また、熊本の方々にたくさんお話していただけて嬉しかったです。
ありがとうございました。

平成28年10月5日
京都大学 学生 黒田聖奈

私の住む大阪では熊本の情報はめっきり減っています。
今回熊本に来るときも「まだボランティアが必要とされているのかはわからないけどとりあえず行ってみよう」程度の気持ちでした。
しかし実際に来てみると、想像していた熊本とはまるで違いました。
震災直後のような状態で残っている場所が多くあったり、物資の供給がアンバランスで一方では余っているのに他方では不足していたり、地元の方と実際に触れあわなければわからない無数のニーズがあったりなど、、、そして何より人手が不足していました。
それぞれのお宅でちょっとしたことから大きなことまで困っていること、自分ではどうにもできないことがあり、RQの活動は現時点で依頼のあるものの中からその日活動できる人で出来る分をして、困ってる方を順番に助けていくという形でした。
熊本では助けを求める方も助けにいく方も今できることを一生懸命やっています。わたしも今自分にできることをやっていきます。

平成28年9月26日
鹿児島大学大学院 院生 廣岡拓磨

8月22日―8月28日の期間で熊本地震の災害ボランティアに行った。地震から数ヶ月経ったこの頃、必要なのはボランティアの経験ではなく人数であることを感じた。
草刈りや倉庫の片づけ等、単純に人手が足りないことにより進行が滞っている作業が多かったからだ。
私は災害ボランティアの参加は初めてであったが、RQ九州の方や経験の豊富なボランティアの方のおかげで力になれたのではないかと思う。
今回のボランティアに興味を持った理由は、少年時代に4年間住んだ熊本に対して力になりたいという思いがあったからだ。今後は今回のように現地にボランティアに行くことは困難であるが、用事や旅行で熊本に行ったり、熊本に関わりのある商品を買ったりする機会は必ずある。今後はこのようなことを通じて復興に貢献したいと思っている。なぜなら、熊本に関する消費をすることは私も含め遠隔地に住む人々にとって最も簡単な復興支援であるからだ。

平成28年9月21日
福岡女学院看護大学 学生 幾度恵美

今回、初めてボランティアに参加しましたが、凄く良い経験となりました。
多くの方が笑顔で挨拶して下さったり地震当時の事を話して下さり、現地の方々が前向きに復興に向けて努力しているということが分かりました。
また、まだ多くの瓦礫がそのままであったり、進んでいないことも多くあり情報が全く入っていないということに驚きました。
また時間があれば参加しようと思います。
ありがとうございました。

平成28年7月29日
イラストレーター・グラフィックデザイナー 渡部 修

2011年の東日本大震災の時、僕は東京のWEBデザイン会社の4階にいました。
自然と都会の在り方、自分のこれからの生き方を考えさせられ
その年の終わりには熊本の自然あふれる環境へ移り住んでいました。
熊本の生活にも慣れ今まで培った美術の感性をデザイナーからイラストレーターへと方向を替え挑戦しようと覚悟を決めた矢先に熊本地震に合いました。
過去の経験から予測できることもあれば、環境と状況の違いに直ぐに動けないこともあり
心苦しい中、一刻も早く助けを必要としている人たちを助け始めていた方々が周りに沢山いました。
そのとっさの行動は私には出来ませんでしたが、自分にしかできなかったインターネットやデザインを使った応援と支援が出来たかと思いますし、これからも続けていきたいと思っています。色んな状況の人たちが生きる世の中、どんな形でもいいから困っている人がいたら役に立ちたいし、きっとどんな形でも何かしら影響を与えます。
沢山の人がどんな形でも、それぞれの人間力を引き出し助け合いより良い復興へと近づけるきっかけになれば良いと思ってます。

平成28年7月14日
NPO法人五ヶ瀬自然学校 理事長 杉田英治

私は世界中を冒険した。カナダ・アラスカユーコン川、北インドザンスカール…。「冒険家とは前人未到の地へ行き、目的を果たして帰って来た人のこと」植村直巳はそう言っていた。今まさに私は冒険をしている。震災は何度も世界を襲うが同じ事例は無い。誰も経験した事のない時間を作り出す。どうしたら良いのかなど誰も教えてくれない。いくらでも失敗するし、みんな間違う。間違ったらすぐに修正する。そうしなければ助からない。家族や仲間を失うことになる。
私は東日本大震災の時には動けなかった。宮崎県五ヶ瀬町に住む私にとって、自分の家族、仕事が優先された。熊本は目の前だ。私の家族は無事だった。日常の仕事は妻が全て引き受けてくれた。私は信頼できる仲間とともに震災という冒険に踏み出すことが出来た。